僕は立川談志が好きでそれを突破口にして落語に興味を持ち、
寄席に通うようになりました。
たまに都々逸(どどいつ)が歌われている寄席がありまして、
その時を待ってたと言わんばかりにトイレや喫煙するお客さんで、席がガラガラになります。
都々逸とは三味線に合わせ七・七・七・五の言葉をのせて歌い上げるといった代物で、
男女の恋愛を題材としているものが多く、情歌とも呼ばれています。
ガラガラになっていく劇場で、めげずに音曲師は都々逸を歌い上げます。
その光景はどこかライブの光景とシンクロするところがあって、
どうしても僕は席を立つことができませんでした。
よくよく聞いてみると、この都々逸というものはとても言葉回しが豊かで、
エロさと素直さの二律背反。なんかもう飛び越えている。
けしてぶっとんでいるという意味ではありません。
・惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里
・恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす
上に書いたような恋愛ものの歌詞を実直に歌う姿に身悶えしました。
いま街にあふれる顔ばかりの音楽とはちょっとちがう。
でもそんな顔ばかりの音楽もなくならないでほしいと思う。
僕は顔ばかり音楽が鳴り響く街の中で、
その音楽周辺の底の浅はかさを勝手に決め付け、
僕の好きな音楽で耳をふさぎ、反発し続けていたい。
対抗文化に僕は生かされています。
都々逸にたしかにそれを感じたのだと思います。
北村
仕事が休みの日にイラレを教えています
http://cyta.jp/illustrator/s/peko/